意思能力に関する規定が新設されました

意思能力に関する規定が新設されました。「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。」(第3条の2)というものです。そこで、意思無能力者が契約(法律行為の典型は契約です)をしたら無効となるルールが初めて民法に定められたなどと説明されることがありますが、これは正確な表現ではありません。

ある人が別な人との間で契約を締結し、その契約が有効となるためには、意思能力が必要なことは、今回の債権法改正で上記第3条の2が新設される前から当然のこととされていました。判例(大判明治38・5・11民録11輯706頁)も、古くからこの法理を認めていました。ですから、第3条の2は、当然と理解されてきたこと、判例法理も既に存在していることを明文化したものなのです。

契約をすることによって、人は他人との間で権利を取得し、義務を負うことになります。4Kテレビ1台を10万円で購入すれば、買主はテレビを交付してもらう権利を持ち、一方で10万円の支払義務を負います。そもそも自由であるはずの人が、なぜ10万円の支払義務を負うのでしょうか。それは、その人が自らそれを欲して契約したからだということになります。他人に強制されるわけではなく、あくまで自らの意思で権利義務を負担するのであるから、人は誰からも強制されず自由であるという近代以降のルール(現代社会も基本的にこのルールを前提としていると説明されています)に反しないとされるのです。

そうであれば、契約をするにあたって、その契約の意味内容を理解し、契約をすべきかどうかや、どのような契約内容とすべきかについて、自ら判断できるだけの能力がなければなりませんね。権利義務の発生根拠を人の意思に求める以上、自らそのメリット・デメリットやリスクを判断できるだけの能力が必要なことは、多くの方が共感できるルールだと思います。この、「人が自ら法律行為をすることのメリット・デメリットやリスクを判断しうる能力」のことを、古くから意思能力と呼び、意思能力を有しない者の契約は無効であると理解してきたのです。まずはその点をしっかりと理解しておきたいところです。

それはその通りなのですが、それでも、新しい民法に意思能力に関する規定が設けられたことは、契約には意思能力が必要という意味を問い直す契機になると期待されています。第3条の2は、意思能力を有しない人の契約は無効と定めていますが、具体的にどのような能力があれば意思能力を有するとされるのか、換言すれば意思能力の意義については、何ら定められていません。これは引き続き解釈に委ねられています。

これまでの伝統的な理解では、意思能力は、多少の違いはあるものの概ね小学生低学年程度の判断能力があれば認められるとしてきました。それだけの判断能力がなければ契約はできないし、それに足りる判断能力があれば契約ができるという理解です。契約の種類、性質を問わず、判断能力の有無は原則として一律に判断されるという考え方ですね。ただし、未成年者の場合には他に行為能力制度というものがあって、未成年者を一般的に保護していますので、実際には意思能力法理は行為無能力制度の影に隠れている感があります。ところが、現代の高齢化社会では、未成年の子どものケースもさることながら、高齢者の意思能力という問題を考えなければなりません。高齢者の場合にも成年後見制度などがありますが、高齢者の方が全てこれらの制度の適用を受けるわけではありませんので、より直接に意思能力の有無が問題となってきます。

高齢者の方が認知症などで判断能力が衰える場合があります。このような方が現代社会における難解な契約を自ら単独で行うことは困難です。また、そこにつけ込む悪質な業者もいます。このような事態を防ぎ、契約を無効とするために意思無能力とする。この場面ではできるだけ意思能力がないと判断されるように、意思能力の内容を理解したいということになります。一方で、意思能力がないと判断されると日常的な契約行為にも支障が生じる可能性があります。スーパーで買い物をすることも売買契約ですから、意思無能力者は自ら単独ではスーパーで買い物もできないという事態を招いてしまいます。このようなことでは困るという問題もあります。ここに意思無能力法理の難しさがあります。

この問題を解決するための一つの切り口が、意思能力の意義を小学生低学年程度の判断能力という一義的なものと理解することを見直し、具体的な契約類型との関係でこれを判断しうる能力が認められるか否かによって、個別に意思能力の有無を判断するという発想です。スーパーで日常品を購入することを判断しうる能力はあっても、難解な契約内容を理解しなければならず、また、契約のリスクも大きい金融商品の購入の是非を判断する能力はない場合があるという発想です。意思能力に関する以上のような理解は、だんだんと有力になっていて、適合性の原則と呼ばれる問題などとも繋がっていく理解となります。

債権法の改正に関する法制審議会での議論では、このような理解を踏まえ、意思能力の意義・判断基準を明文化することも議論されたものの、結局、明確な態度決定はせず、解釈に委ねることとしました。

意思能力の有無の判断にあたり、適合性の原則に繋がるような理解をどこまで取り入れるか、大変、難しい問題ですが、急速に高齢化社会を迎えると指摘されている今、意思能力に関する規定を民法が新設したことの意味を改めて考えてみたいところです。